翻译仅供参考,实际以日文描述为准。
在线翻译仅供参考,如有疑问请咨询客服翻译。
日本邮费参考表(该表仅供参考,以出品者说明为准,邮费到付需加收100日元手续费)
发货方式 |
发货地 |
|
|
浄土真宗大谷派新品肉筆の教如上人御真影になります。
300年以上前の金襴を使用し表装致しました。
全体サイズ
171x56.5
本紙サイズ
95x38.5
◎表装替を当方でしておりますので、すぐ床の間等に掛けて頂けます。
教如上人
没年:慶長19.10.5(1614.11.6)
生年:永禄1.9.16(1558.10.27)
安土桃山・江戸?初期の真宗の僧。本願寺12世で,本願寺教団の東西分派の主導者として有名。摂津国大坂(大阪府)に生まれる。本願寺顕如と如春尼の子。本願寺と織田信長の石山合戦期に成人し,合戦末期には父を補佐して,諸国の門徒に檄文を発した。天正8(1580)年和議が調い,父が本願寺を退去したのちも,主戦派の門徒の支持を受けて4カ月間籠城を続けた。このことが,のちの東西分派の遠因といわれる。文禄1(1592)年,父の死去にともない本願寺を継職するが,翌年豊臣秀吉の命により隠居,弟准如に跡を譲った。しかし,隠居後も多くの門徒の支持を受け,宗主しかできない本願寺免物の裏書を「大谷本願寺釈教如」の署判で発給したり,親鸞の『正信偈・三帖和讃』の開版を行うなど,宗主としての立場を堅持した。慶長5(1600)年の関ケ原の戦に際し,徳川家康を訪問してから家康との親交を深め,同7年京都東六条に寺地四町四方の寄進を受けて,東本願寺を別立した。この東西分派の要因については,家康と本多正信による本願寺勢力二分の政策との説もあるが,石山合戦退城・籠城を遠因とする,本願寺門徒および家臣団の分裂を前提とする説が有力である。
Yahoo!オークションでは、2017年10月25日から<絵画の出品に関するルール改定>が施行されます。 つきましては、当方では美術品の出品に於いて、特定の作者の作品と記載、もしくは署名落款がある場合、【真作?】または【模写】と明?記することとなりました。
・署名落款等により特定の作者の作品とみなされる場合、弊社で判断し、以下のように真贋を明?記しております。 充分ご確認の上、ご入札をお願い申し上げます。
【真作?】 本物であると断定できる作品
【模作】 わずかでも真作?ではない疑いのある作品、及び作者不詳の作品は全て模写と表記いたします また、 所定の鑑定機関の無い作品、弊社で判断出来ない場合も含まれます
【印刷工芸】 印刷または工芸印刷の作品
所定鑑定にて贋作と判定された場合は、落札代?金と送料のみ返金させて頂きます。
画廊や目利きの真贋判定は対応致しません。
上記に該当しない作品(署名落款のないもの)につきましては、特に表記はございません。
(2025年 3月 11日 7時 44分 追加)
ご注意:一点物の特注現品につき追加受注は受け付けておりませんので、ご了承の程よろしくお願いします。