1987年
日動出版 発行
108ページ
25.5x24x1cm
作品図版フルカラー
※絶版
フランス現代?具象絵画の重鎮として、現在でもリトグラフ、ポスターなどとしても人気の高い、ベルナール・ビュッフェの自選油彩画、初期から当時の最新作まで79点を展観した、大回顧展の図録本。全作品フルカラー原色版。
ほとんどが本展のためにフランスから借用されたもので、国内ではなかなかお目にかかる機会のない貴重な作品が多くを占めます。
静物画、風景画、人物画、サーカス、ニューヨークなど全79点の作品について、製作年・画材・サイズ・署名/サインの位置(右上、左下など)とその内容、年記の有無、年記の位置、個人蔵以外は所蔵先情報を、日本語・フランス語で記載。
来日時に日本の風景を題材にした、「桂離宮」「川越」なども含む大変貴重な資料本です。
【内容】
作家肖像写真
会場・会期
主催者挨拶
作家挨拶
ベルナール・ビュッフェと日本 ヤン・ル・ピション/美術史家
永遠の異邦人 木島俊介/美術評論家
ベルナール・ビュッフェ―誤解された巨人 阿部信雄/美術評論家
カラー作品図版 79点
年譜
参考文献
【主催者挨拶より】
現代?具象絵画の重鎮としてゆるぎない地位を占めるベルナール・ビュッフェ氏の油彩約80点による「ベルナール・ビュッフェ展」を開催します。
ビュッフェ氏は第二次大戦後の社会的かつ精神的な混乱期にあったフランス美術界にいち早く頭角をあらわしました。 1948年には,わずか20歳で第1回の批評家賞を受賞,当時流行していた抽象絵画に対抗して様式的にも独特な特徴をそなえた具象的造形世界を作りあげました。単色を基調に,極度に感情を抑制した鋭い描線によって現実を厳しく表出した同氏の作品には,揺るぎない緊張感と同時に,不安な現代?に生きる人間の孤独な相貌が示されています。最も戦後的な作家の新しいレアリスムと言えましょう。
本展は,生誕60年を迎えられんとするビュッフェ氏自身の選択になるリストに基づいて,初期から最近作にいたる作品を展観,同氏のこれまでの業績を回顧します。展示作品の殆んどは,本展のためにフランスから借用されたものです。ビュッフェ氏の本展に対する意気込みとともに,同氏の作品に一貫して見られるその想像性の多様さと稀有の才能を改めて認識していただければ幸甚です。開催にあたりご協力頂きましたギャルリー・モーリス・ガルニエ,ギャルリー・ためながはじめ関係各位に対し深甚なる謝意を表します。
【ベルナール・ビュッフェと日本 より】
ヤン・ル・ピション
美術史家
日本の人々が優れた理解力と見識とをもって,その美的世界の最上位にすえた西洋の現代?の画家たちの中で,ベルナール・ビュフェは,おそらく最も真価を認められ,そして私のみるところでは,最も日本人に近い作家であろう。 そのことは1963年に東京と京都の国立近代?美術館で開催された,有名な回顧展以来,そして,殊に1973年11月25日に駿河平に岡野喜一郎氏が設立した,すばらしいベルナール・ビュッフェ美術館の開館以来,日本で繰り広げられた人気の高い展覧会の数々に,明?らかに示されている。さらに日本にベルナール・ビュフェの作品を将来することに,尽力されたギャルリー・ためながに敬意を表しよう。
1987年春より主要8都市を巡回するこの展覧会は,ベルナール・ビュフェの親友であり,かつまた彼の献身的な画商であるモーリス・ガルニエが, 1986年秋に出版した,ビュッフェに関する記念碑的書物の中で,私が説明?しようとしたピ・・ツフェに対する心酔を,追認するであろう。主催者は,展覧会の図録のために序文を書くように私に依頼したが,それは私が最も強い関心を抱き,かつまた最近出版した“Sur les traces de Gauguin”(『ゴーガンの足跡』)に着想を与えたテーマに立ち戻り,考えるための格好の機会を提供してくれた。そのテーマとは,芸術における眼差しの相互性と作品における普遍性である。作品は,芸術家から,創造における,個人的かつ独創的で卓越した天与の才の本質を引き出しながら,芸術家自身をーその寛容さ,文化の豊かさと炯眼のおかげで一固有の境界に限定される範囲の外にある「無人地帯」へと引き寄せるのである。そこでは,逆説的ながら,人々はたずね合い,出会い,理解しあっている。それというのも,本来の特質をのぞいて,深遠でない,表面上の差異など無になってしまう,非時間的な融合の場を占め,侵入することは,時代?を引き受けながらも,時代?からのがれている,創造者の特性だからではないだろうか。
日本文化と西洋文化の相互依存についてのルポルタージュ,ジャーナリストや大学の研究が,目下のところ増加していることは,大変よい傾向である。なぜなら,ルポルタージュや研究と同じ数の架橋が二者を結びあわせ,大洋をーありがたいことに“太平洋”をーひとまたぎにつなぎ,二つの文化を互いに発見し合い,あいさつをかわし,交わるようにと仕向けるからである。しかしながら,ベルナール・ビュッフェが無意識にせよ,日本の何人かの優れた芸術家に対しておよぼすことのできた,明?らかな影響に
ついて,すでに綿密な研究がなされているかどうか,私は知らない。たとえば,横山操を「日本のベルナール・ビュフェ」と呼ぶことはできはしまいか。あるいはまた,先にポソピドゥー・センターで開催された「前衛芸術の日本」展において,フランス人に示されたばかりの河原温。彼の偏執的な実存主義による,厳格なまでに造形的な表現は,ビュフェのそれとつながりがないとはいえない。
逆に,佐伯祐三の神経質な画風や,荻須高徳のノスタルジックな悲惨主義と,ベルナール・ビュフェの情容赦ない孤独感との間にある関係性を検討することは,興味深いことであろう。いずれにせよ,私には,ビュフェの線的で絵画的な作品に,マネ,ドガ,モディリアーニといった日本
好きの画家やフジタのある種の作品の影響を通して達したジャポニスムが多少とも意識的に。染み込んでいることは,明?白であるように思われる。
図式的な影響関係がどうであれ,《戦争の恐怖》《皮を剥がれた動物》《ダンテの神曲》や,荒涼とした自画像の作者と,第二次大戦の最後に,はじめて日の沈んだ,日出ずる国が,他国より強く,凄まじいばかりのやり方で,耐え忍ばねばならなかったドラマとの間には,疑いもなく,主題上の接近がある。そして,丸木位里・俊夫妻の描き続けている,あの地獄のような原爆のヴィジョンもまた,直接的な反映を起こし続けているのである。
ベルナール・ビュフェの作品は,助けを呼ぶ叫びである。無関心への訴えであり,人類の連帯を求める,ほとんど絶望的な最後の試みである。日本の人々は,このメッセージを聞くすべを知っているであろう。日本人は当然のことながら,西洋の人々よりずっとこの問題に感じやすいからである。 (小坂智子訳)
【収録作品情報 一部紹介】
部屋 1947年 油彩・キャンヴァス 136x193cm 右上に署名と年記:Bernard Buffet 47
カニと男 1947年 油彩・キャンヴァス 189x131cm 右下に署名と年記:Bernard Buffet 47
ストーヴと女
酒を飲む男
画家とモデル
魚網を繕う女
画家
エベルト劇場
エイと水差し
静物
腰かけた男
酒場
魚屋 プワソヌリ
黄色い背景の静物
ヒヤシンス 壺の花
燈台
道
川
室内:赤い長椅子の裸婦
教会広場
キャベツのある静物
サーカス:自転車乗りの女
サーカス:女曲馬師
サーカス:二人の道化師
酒瓶と女
胸をはだけた女
魚のある静物
パリ風景 シテ島とノートルダム
ボーリュー港の眺め
ニューヨーク フラット・アイアン・ビル
ニューヨーク エンパイア・ステート・ビル
ニューヨーク パーク・アヴェニュー
カンヌ映画祭のアナベル
白い家のある風景
赤い家
川辺
ヴェネツィア カ・ドーロ邸
博物誌 ひき蛙
博物誌 コンドル
博物誌 赤い蝶
自画像
皮を剥がれた頭部
沼地
花咲く林檎の木
梨
曳船と鱈漁船
中国の花瓶の花束
赤毛女の顔
サン=カストの渓谷
散形花の咲く屋敷
サン=ラザール駅
シュノンソー城
シャンボール城
サロンの女たち
ル・ムーラン・ド・ラ・ギャレット
ラ・トゥール・サン=ジャック
エッフェル塔
モンマルトルのサクレ=クール
タワーブリッジ テムズ川
アヌシーの港
ペンポル 船渠の曳船
ダンテの地獄編 変容
カリフラワーのある静物
一把の人参のある静物
卓上のチューリップ
田舎の教会
二羽の鳥
日本 桂離宮
自画像
青い屋根の家
村の教会
薔薇色の館
ノルマンディーの別荘
ロールス・ロイス 1933
ドラージュ=グラン・プリ 1925
ドッカムの港
川越
二人の闘牛士
帝国士官